「袴田事件」の再審無罪判決確定を受けて、改めて再審法の改正を求める会長声明
1 いわゆる「袴田事件」(2024年(令和6年)9月26日静岡地裁、以下「本無罪判決」という。)を受けて、最高検察庁は、2024年(令和6年)10月8日付けで、同判決に対する控訴を断念する旨の検事総長談話を発表し、静岡地方検察庁は同月9日に上訴権を放棄した。本判決の確定により、逮捕から58年の長きにわたり一家4名を殺害した凶悪事件の犯人との汚名を押し付けられ、死刑囚の身に置かれてきた袴田巌氏の雪冤が果たされることとなった。
あまりの長きにわたる苦難の年月における袴田巖氏及び姉ひで子氏の辛苦のほどは筆舌に尽くし難く、察するに余りあるものがある。再審請求及び再審公判を闘いぬいた両氏及び袴田事件弁護団には、心からの敬意を表する。また巖氏の汚名が雪がれたことに対し、心からの喜びと祝意を表する。
2 袴田事件をはじめとする、えん罪問題に関する市民の関心の高まりは、近年日々高まりつつある。えん罪が重大な事件侵害であり、国家権力が無辜の市民の人生に対する危害となりうるとの認識が共有されつつある。すでに全国13の道府県議会を含め約400の地方議会において、再審法改正を求める請願が採択されている。岐阜県においても、本年7月4日、岐阜県議会において当会の請願とその採択を踏まえて「刑事訴訟法の再審規定の改正を求める意見書」の発案が決議され、国に対し発出された。
3 しかるに、検事総長の上記談話は、本無罪判決に対し「被告人が犯人であることの立証は可能」と主張して、再審無罪判決には「大きな疑念」や「強い不満」があって「到底承服できない」「控訴して上級審の仰ぐべき内容である」との評価を述べるものであった。これは、なおも袴田巌氏を犯人視するかのごとき言動であり、自ら上訴権を放棄したことと矛盾するだけでなく、公益の代表者たる検察官の言動として理解しがたいものである。その理由が「再審請求審における司法判断が区々となったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたこと」を考慮したからとのことであるが、同じ談話における「犯人であることの立証は可能」との部分と整合しない、不合理な説明というほかない。
本無罪判決は、警察が袴田巌氏に対し拷問にも等しい取調べを行ったこと、そして当時の担当検察官も同氏に対し、検察庁ではなく警察署において取調べを実施し、証拠の客観的状況に反する虚偽の事実を交えるなどしながら、同氏を犯人と決めつける取調べを繰り返したことなどで、検察官面前調書における自白を実質的に「捏造」したことを認定している。また1980年(昭和55年)の死刑確定から2014年(平成26年)に再審開始決定がなされ死刑の執行停止と身柄釈放がなされるまでの34年間、袴田巌氏は日々死刑執行を受ける恐怖に晒され、精神に変調をきたす状態に追い込まれた。再審開始決定までこれほどの時間を要したのは、再審請求段階で証拠開示を拒み続け、当初は「不見当」と回答した証拠を開示するといった、証拠開示に対する検察官の非協力的な対応に大きな原因がある。現に、再審開始決定及び本無罪判決の重要証拠の1つとなったいわゆる「5点の衣類」のカラー写真が開示されたのは、2010年(平成22年)のことであり、30年に及び証拠開示に応じなかった検察の責任は誠に重大である。
検事総長の談話は、再審請求手続の長期化をもたらした自身の態度に反省を示すどころか、これに言及すらしていない。わずかに「刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております」と反省の弁を述べるものの、それは明らかにえん罪を生み出した検察の姿勢に対する反省ではない。本質的な反省をすることなく、従前どおりの検察の立場を正当化しようとする、矛盾を含んだ主張であるという他ない。
4 他方、本無罪判決は、いわゆる「3つの証拠の捏造」を認定し、捜査機関を厳しく批判するものではあるものの、裁判所自らが確定審で誤判に陥り、なおかつ再審請求手続の主催者としてこれを迅速に進めることができなかったことに対する評価を述べる判示は見られなかった。
5 つまり、検事総長の談話にしても、本無罪判決にしても、現行の再審制度がえん罪の被害者を的確かつ迅速に救済するというあるべき制度としての機能を有していないという致命的な欠陥に直面しておきながら、これを改善し本来の機能を持たせるべきであると言う問題意識に欠けていると言わざるを得ない。証拠開示や審理方法に関する規定の不備、再審開始決定に対する検察官抗告の繰り返しによって、えん罪からの迅速な救済が妨げられてきたという重大な人権問題を、自ら解決しようという姿勢を検察庁も裁判所も見せようとしないのである。
そうである以上、裁判所や検察庁が意識の持ちようを改めたり、再審請求手続きの実務運用を変更したりする程度のことでは、将来においてもえん罪被害が再発することを危惧せざるを得ない。現行再審制度の機能不全は制度的、構造的な問題なのであって、再審法の改正によらずして、これを改善する方法は他にないことが、検事総長の談話及び本無罪判決により改めて明らかになった。
6 しかも、報道によると本年10月11日、再審公判を担当した検察官らが、「袴田事件」の被害者遺族に謝罪をしたとのことである。しかるにその謝罪は、検察官らが本無罪判決に対して控訴しなかったことに対するものであった。無罪の袴田氏を長年にわたり犯人として扱い、えん罪の可能性を考慮した捜査をしなかったために真犯人を検挙できなくなったことについては、検察官らは何ら謝罪していないのである。遺族が控訴しなかった理由を訪ねても、検察官らは検事総長の上記談話を読み上げるだけで、それ以上の理由を説明することはなかった。かかる検察官らの態度は、検察庁にはえん罪の被害を解決しようとする真摯な問題意識に欠けているという上記の指摘が正鵠を射たものであることを裏付けるものである。
7 よって、当会は、政府及び国会に対して、改めて、再審請求手続において十分な証拠開示がなされるよう制度化すること、再審開始決定に対する検察官の上訴を禁止すること及び実効的なえん罪救済制度としての機能を果たすために必要な手続規定を整備することを骨子とする再審法の改正を早急に行うことを強く求めるとともに、引き続き、同法改正に向けた活動を含む、えん罪の根絶とえん罪からの救済のための活動に注力することを表明する。
2024年(令和6年)12日4日
岐阜県弁護士会会長 武 藤 玲央奈
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